ほんのふとしたことで、『いとしのテラ』 にぶち当たり、杉真理のことを思い出した。
「STARGAZER」と「MISTONE」のアルバムはカセットで何回聴いたかわからないぐらい聞いてたことを思い出した。
調べてみると、去年はデビュー30周年と言うことで、去年ぐらいからCD(過去の当時は確かレコード)が出ているらしい。
よく思い返してみると、TVにそんなに出てる人じゃなかったように思うし、アルバムジャケットもサングラス姿だったので、結局今までどんな人か顔さえよく知らないままファンだった。でも、今回 blog の特に 03/14 「So Long Dad」 を読んでどんな人か何となく理解できた。
疑問が一つ氷解できて、何となくうれしい。
<< 2025.5追記 >>
リンク切れがあったので、杉真理さんの30周年記念サイト(sugi30th.net)を確認するとドメインは放棄されていた。そのため文中のリンクを消去した。調べてみると現在の氏の公式サイトでも記事は無く、当時の日記は全て破棄されてしまったようだ。非常に残念だ。しかしながらネットの深海にひっそり光る砂粒を再び浮かび上がらせることはできることでもある。いろいろ調べてみたところ、やっぱり残ってた。他の日付のものもあったのだが、これだけにする。
杉真理さんの当時の30周年記念サイト2008.3.14のDiaryから。一番良いのは公式サイトで掲載されることなのだが。。。もったいない。
以下の文章は、私の著作ではないことにご留意。
なお最後の1行について正しいデータでは先頭から空白が続いており、レイアウトの中段から呼びかけが始まる。
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03/14:「So Long Dad」
Category: General
Posted by: Masamichi Sugi
3月14日は僕の誕生日である。
いくつになっても誕生日は嬉しいし、特別な日である。
そんな特別の日だから、今まで書かなかった大事な話をしよう。
去年の8月21日未明、僕の父が亡くなった。
父は5年前からアルツハイマー病で入院し、ここ数年は介護施設のお世話になっていた。
入院してすぐ僕が誰かも分からなくなってしまったが、それでも飄々(ひょうひょう)として穏やかな父のパーソナリティは変わらず、プチ仙人の様なキャラで周りを和ませていた。
この5年間、僕はことあるごとに福岡に戻り、父を訪ねその度、感謝と別れの言葉と気持ちは伝えて来た(伝わったかどうかは別として)。
であるから充分に心の準備は出来ていた。
しかし、それでもあまりに急だった。
8月20日、STBライブのリハが終わり夜自宅に戻って、父が肺炎をこじらせ亡くなったと母から連絡を受けた。
リハやらで連日忙しい日々が続いており、3日後にはライブのゲスト、その翌日はSTB本番、それ以降も福岡を含むツアーやらレコーディングやらが入っていたが、明日と明後日だけは奇跡的にスケジュールが空いていた。
翌21日の朝、とにかく福岡に帰った。通夜と告別式の日取りを決めなくてはならない。
僕の弟はパイロットをやっているので、彼のフライト・スケジュールとも合わせなくてはいけない。
しかしうまいこと弟も2日間休みがとれ、その日通夜、翌日告別式と決定。
僕と父はルックスも性格もまるで違った。
行き当たりバッタリの僕とは対照的に用意周到な父。
ノリで物事を決めちゃう僕に対して沈着冷静な父。
(父は手放しで賛成することは少ないが、あたまから否定することは絶対になかった)
僕は本当はけっこう短気だったりするのだが、激怒している父は一度も見た事が無い。
そんな父が全く元気だった16年前に書いた、自分の葬式の覚え書きが少し前に見つかった時も驚いた。
通夜の形式、死亡時に連絡する所、葬儀は無宗教で本名で行ない(戒名不要)、小会場でよい、献花と音楽、挨拶~真理か?(俺指名されてる!)
等が記され、そして最後に「お別れの言葉」まで!!!ひぇ~~~。
あまりに親父らしく、どこか面白いのでコピーをとって持ち帰ったのを東京を発つ前夜思い出しバッグに入れて来た。
その覚え書きが役にたった。
親父の指定通り長年務めていたアサヒビールに電話で伝えた。
定年して随分経ってるので、意味ないんじゃないの?
と思っていたら、数時間後にビールが数ケース届けられた。
おかげさまでお通夜の飲み物はそろった。
音楽は僕のインストアルバム『風の吹く場所』、遺影に使ったのは数年前に弟の操縦するコックピットで撮った親父の写真。
そして急な式にもかかわらず、葬儀社の人が驚く程たくさんのお花が送られて来た。
無宗教なのでお坊さんもナシ。献花のみ。
僕の挨拶が回って来た、どんなMCより緊張する。
しかし、こう言っては何だが、とてもいい雰囲気の告別式なので、すぐにいつものペースに戻って来た。
そして最後に親父自身が書いた「お別れの言葉」。
「皆様御多忙の中私の告別式にお出でいただき誠に恐縮に存じます。
私は去る平成○年○月○日を以て、皆様と永遠のお別れをいたしました。」
に始まり、親父の生い立ち、14歳の時には両親が病死していた事、
しかも一人っ子だった孤児同然の親父を、親戚やら周りの人が寄ってたかって(親父の言葉によると)助け育ててくれた事等が語られ、
「お世話になった皆様の優しい顔を思い浮かべながら、生前私がいかに幸せな時間を過ごさせて頂いたか、只々感謝申し上げるばかりです」
と続く。
そして感謝の気持ちを綴ったあと、
「それではお忘れ物のないように、気をつけてお帰り下さい、さようなら」
と締める。これには受けている人もいた。
棺の中に横たわっている人の言葉とはとても思えなかった。
「以上、父の『お別れの言葉』を私、長男真理が代読いたしました」
俺の台詞まで書いてある!!!
思うに天涯孤独になりかけた父の人生は、家族を得、仕事を得、友人を得て数年前に美しく完結していたのではないだろうか。
この5年間は僕ら家族が準備出来るまで付き合ってくれてた気がする。
残す者達に悲しみを与えず、風のように旅立って行ったその逝き方は、我が父ながら立派で男らしい逝き方だと思う。
葬儀の翌日、お台場のライブゲスト会場に直行、その翌日はSTB本番。
肉体的には疲れていたが、精神的には浄化された気がして、それぞれの仕事に打ち込めた。
そしてその翌週から『魔法の領域』のレコーディングが始まったのだ。
あり得ない絶妙のタイミングとしか言いようがない。
3月14日は僕の誕生日である、と同時に父が初めて父になった日でもある。
こんな感じでいいかな?父さん。
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