東日本大震災3.11から10年の歳月がたつ

地震発生時は台湾から日本に向かう機上にいて事態を全く知らなかった。関空に着き、CAさんが何かいつもと違うことを語尾に言ってたが聞き過ごし、周りの人がなんだかざわざわしだしていたこと、到着ロビーに並ぶ電話にいつもと違って人が群がっていていたこと、でも皆が皆そわそわしていた訳でもなかったのでなんだか少しおかしいなとは感じつつもそのまま駐車場へ向かい音楽聴きながら高速で自宅へ。18時過ぎ自宅に着きTVをつけそこから流れる衝撃の映像を見て全てを理解した。

すぐに富士通LS研OBのMLへメールした。在東京各社の人たちからは帰宅を諦めて会社に泊まることを検討している旨のメールが返ってきた。揺れに揺れてツインビルの片方と接触しそうだったと書いてた人もいた。在東北(それも電力)からは翌日連絡があった。太平洋側の発電所全滅なので日本海側の復電に努めている、単身中で妻子は無事を確認できたけど食べ物が不足してる、自宅は駄目で停電で暖も取れない状況とのことだった。何もできないことに歯がゆさを感じたことを思い出す。

10年に合わせて放送されるドキュメンタリーをたくさん見て思う。

経済の復興とは別に、大切な人を失ったという前を向きたくても失ったものが大きすぎて前を向けない人たちが形見を手元に話す何年経っても変わらないその悲しい気持ちは聞いている私の心の中に強く響き自然と涙があふれる。

 

■天皇陛下のおことば。2021.3.11東日本大震災犠牲者の追悼式にて。

東日本大震災から十年が経ちました。

ここに皆さんと共に、震災によって亡くなられた方々とその御遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
十年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す方が亡くなり、行方不明となりました。

また、この地震に伴う津波や原子力発電所の事故により、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。この震災の被害の大きさは、忘れることのできない記憶として、今なお脳裏から離れることはありません。あれから十年、数多くの被災者が、想像を絶する大きな被害を受けながらも、共に助け合いながら、幾多の困難を乗り越えてきました。

また、国や全国の地方自治体、百六十を超える国・地域や多数の国際機関、大勢のボランティアなど、国内外の多くの人々が様々な形で支援に力を尽くしてきました。
私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています。これまで復興に向けて歩んできた多くの人々の尽力とたゆみない努力に深く敬意を表します。

一方で、被災地ではまだ様々な課題が残っていると思います。
復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています。高齢者や子供たちを含め、被災された方々の心の傷を癒やし、心身の健康を見守っていくことも大切であると感じます。

今後、困難な状況にある人々が、誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように、復興の歩みが着実に実を結んでいくよう、これからも私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。
私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います。

先月にはマグニチュード七を超える地震が福島県沖で発生しました。
被災された皆さんに心からのお見舞いを申し上げます。

この地震は東日本大震災の余震と考えられており、このことからも、震災を過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして捉えていく必要があると感じます。我が国の歴史を振り返ると、巨大な自然災害は何度も発生しています。過去の災害に遭遇した人々が、その都度、後世の私たちに残した貴重な記録も各地に残されています。この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も、今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと、そして災害の経験と教訓を忘れず、常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。
そして、その教訓がいかされ、災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。

今なお様々な困難を背負いながらも、その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。